PLAYERS INTERVIEW ⑲山田紗也香
中学3年時からビーチバレーボールに触れ合い、高校3年時には「JBVサテライト」で優勝を果たすなどアンダーエイジカテゴリー時代から注目されてきた山田紗也香(産業能率大学)。産業能率大ではビーチインカレ2連覇を達成。この春、卒業を迎え新たな道へ進む山田に、大学時代を振り返ってもらうとともに今後の展望を聞いた
──ご卒業おめでとうございます。改めて大学生活を振り返ってみて、いかがでしたか?
「周囲の人や環境にも恵まれて何不自由なくビーチバレーボールをやらせてもらい、『楽しかった』のひと言で表現できる4年間でした。実は入学する前、やっていけるのかな、という不安はありました。けれど、監督の川合庶さんから『まだ産業能率大学では大学4連覇を成し遂げた選手はいないが、高校時代に鈴木(千代)や石坪(聖野)らと組んだことがあるお前なら達成できるかもしれない』と言われて。だったら誰も達成したことがないことに挑戦してみたいと思い、入学を決めました」
──高校時代にサテライト大会の優勝実績もあり、まさにスーパールーキーとして1年生のビーチインカレでは準優勝に輝きました
「その結果は、自分で腑に落ちていないんですよ。それまで先輩たちが残してきた連覇の記録を崩してしまったので。産業能率大のビーチバレーボールのレベルが落ちたと思われてしまうのではないか、と今でもその悔しさは残っています。その翌年は4位という結果に終わり、悔しさを通り越して、自分はビーチバレーボールに向いていないのかな?やらないほうがいいのかな?と気持ちが落ちたこともありました」
──最初の2年間は悔しさにあふれていた時期だったんですね
「そうですね。ペアを組んできた先輩方たちからは『試合に勝っても負けても楽しんでやろうね』と言われてきたのですが、大学生活の前半はその言葉の意味がわかっていませんでした。『楽しむ』という本当の意味がわかったのは3年生になってからです。それをコートで表現できるようになってからは、結果を残せるようになって注目してもらえることも増えたような気がします」
──2年間、ペアを組んだ後輩のオト(恵美里)選手にも「楽しむ」ことを伝えてきたのでしょうか?
「ビーチバレーボールの経験がない恵美里に関しては、まず勝つ喜びを教えないといけないと思いました。1年生のときは右も左もわからないまま、悩みながらやっている印象を受けましたから。恵美里はバレーボールのスキルはあるので、勝つことの楽しさを伝えられたらもっと上手くなると思いました。ペアを組んでからはそちらに必死で、恵美里がビーチバレーボールを楽しんでくれたら万々歳だと思いながらやっていましたね」
オト選手と多くの試合を経験した
──3年時にはそのオト選手とともに山田選手自身、ビーチインカレ初優勝。大学としても3年ぶりの優勝となりました。最終学年では連覇が懸かっていましたが、振り返ってみてどんな年でしたか?
「3年時の優勝はコロナ禍での初めての大会ということもあり、どのチームも不慣れななか、当たって砕けろという気持ちで思い切って挑めた結果だったと思います。連覇が懸かった最後のビーチインカレでは、前回はたまたま優勝したと言われないようにという思いがありました。とくに恵美里は周囲から、『私のおかげで勝てた』と言われることに悩んでいました。だからこそ、恵美里が4年生になってもしっかり戦えるように先をイメージしながら試合をしていました」
──結果的には先輩たちの意志を山田選手は後輩へしっかり継承されたと思います。そんな大学生生活で得たものは何でしょう?
「メンタル面で成長できたことだと思います。1年生のときはうまくいかないことがあると泣いてばかりいて、先輩に怒られてまた泣いて。『はい…』しか言えない日々でした。上級生になったら自分が後輩を支える立場になったのですが、自分より上手い後輩がたくさんいたので、本当に必死にやってきました。先輩後輩関係なく刺激し合ってきたことで、自分のメンタルもコントロールできるようになってきました」
──4月からはトヨタ自動車ビーチバレーボール部で社員としての生活が始まります。将来的にビーチバレーボールの道を進みたいという思いがあったのでしょうか
「卒業後は、ビーチバレーボールに取り組みたかったので、就職活動もしていました。ただ自分自身は学生時代に秀でた結果も出していなかったので、卒業後は仕事をしながら週末プレーヤーとして活動していこうという考えもありました。そんななか、昨年の『ジャパンビーチバレーボールツアー名古屋大会』で西堀健実(トヨタ自動車)さんとペアを組むことになって、3位に入りました。そのとき、会場にきていたゼネラルマネージャーの川合俊一さん(現JVA会長)に結果を評価していただき、それをきっかけにどんどん話が進んでいきました。まだ実感はないですが、会社に所属しながらビーチバレーボールに集中できることは、本当に申し分ない環境です」
西堀選手とペアを組み3位入賞を果たした名古屋大会(右が山田選手)
──山田選手がビーチバレーボールを始めた当時は、どんな景色が広がっていたのでしょうか?
「初めてトップの試合を観戦したのは、お台場のツアーでした。当時は村上めぐみ選手と幅口絵里香選手がペアを組んでいて、田中姿子さんと大山未希さんたちが活躍していました。自分が知らなかっただけで、日焼けした筋肉バキバキのかっこいい選手たちがたくさんいて、こんなふうになりたいなって漠然と思っていました。でもいちばん驚いたのは、お客さんがビールを飲みながらワイワイと試合を観戦していたことでした。当時は中学生だったのですが、とても楽しそうに見えました(笑)」
──当時のトップ選手たちのイメージと、成長を続けてきた山田選手自身の姿は、少しずつ重なってきているのではないでしょうか。ご自身が思うセールスポイントは何でしょう?
「いちばん自信があるのは、誰とペアを組んでもパートナーが欲しいと思うトス、打ちやすいトスを上げられることです。それはやっぱり練習のたまものだと思います。中高時代に所属していた湘南ベルマーレの練習で夕方、真っ暗の中でもコートを一周する直上パスを常設コート10面分、やってきました。そのときは練習が嫌でしたが(笑) トスの技術を身につけられたのは当時のコーチのおかげだと思います」
──逆に今後、身につけていかなければいけない課題はどんな部分でしょうか?
「強打に対してのディグの安定性。相手のショットに対して自分の読みが外れると一歩も動けなかったり、ブロックフェイクも下がるのが遅れるとすぐに抜かれてしまったり、ディフェンス面全般ですね。あとは根本的にパワーが足りていない。しっかり筋力を上げて身体を作っていきたいと思っています」
──近年、アンダーエイジカテゴリーの大会の増加と比例して競技人口も増えつつあります。中学時代から活動してきた山田選手から学生の皆さんに伝えたいことはありますか?
「ビーチバレーボールは、ラリー中に必ずボールを触るので、勝っても負けても責任がすべて自分にあること。そこがやっていて楽しいですし、魅力だと思っています。見ている人からすると簡単そうに見えるかもしれないけれど、実は駆け引きが繰り広げられていて奥が深いスポーツです。中高生の皆さんには、そんなビーチバレーボールの魅力を純粋に楽しんでほしいと思います。『楽しむ』というのは決してラクをしたりふざけたりという意味ではなく、競技の本質を理解して思いっきり『楽しむ』という意味です。そうやってプレーしていれば、そのうち結果と人もついてくると思うので、ぜひ頑張ってほしいです」
──最後に2022シーズンの目標をお願いします
「直近の目標は、5月初旬にあるアジア競技大会の出場にかかわってくるジャパンビーチバレーボールツアー立川立飛大会で勝つことです。そこに照準を合わせます。そして社会人としてのスタイルを確立させたい。気を引き締めて戦っていく中で『楽しさ』を見つけて、見ている人にも楽しんでもらえるビーチバレーボールに取り組んでいきたいと思っています。これからも応援、よろしくお願いいたします」