ビーチバレーボール

COACHES INTERVIEW② 渥美善博

COACHES INTERVIEW② 渥美善博

ビーチバレーボールにおいて、選手と密接に関わりながら、その成長や取り組みを手助けする存在であるコーチたちは一体どんな人たちなのだろうか。その実態に迫る連載「COACHES INTERVIEW」、第2回は長谷川暁子(NTTコムウェア)/坂口由里香(トーヨーメタル株式会社)組や柴麻美(帝国データバンク)と丸山紗季(マーチオークシー)など、多くの選手たちを指導する渥美善博コーチのインタビューをお届けする

――渥美コーチがビーチバレーボールを始めたきっかけは?

「1990年頃、神奈川県の金沢八景で横浜ビーチバレーという大会があり、中学時代のバレー部の同級生と一緒に出たのがきっかけです。6人制と違って、チームは2人と少ない分、ボールに触る回数が多く、自分のプレーが勝敗に直結するところがおもしろかったですね。初出場で2位になったのですが、悔しさと、もっとやれるという気持ちがあって、同級生に“ほかにも大会を探そう”と伝えました。平塚であるらしい、と聞いてたどり着くと、その後一緒にプレーする選手たちに出会いました」

――現役時代はどんな選手でしたか?

「当時、川合俊一さん(日本バレーボール協会会長)や川合庶さん(日本バレーボール協会ビーチバレーボール事業本部長)、山本知寿さん(現・トヨタ自動車ビーチバレーボール部コーチ)たちとPVC(Point volleyball Community、のちのPVA)という団体で大会の運営からプレーまでしていました。そこで先輩たちに、プロレスのように一人一人が個性を持って、エンターテイメント性を追求していこうと言われていました。そのなかで僕は、ペアを組んでいた望月剛(現・湘南ベルマーレビーチバレーボール部コーチ)とともに、少しヒールなキャラで目立っていたと思います。ほかのチームより声を出して、相手をあおるようなことも言ったり、テクニカルなプレーを強みにした選手でした」

――当時から指導者をやりたいという気持ちはあったのですか?

「全然なかったですね。僕らの時代はビーチバレーボールの指導者がいなかったので、いつも仲間たちと一緒に練習をして、みんなで教えあって、高めるものでした。だからビーチバレーボールとは指導されて強くなっていくものという認識をあまり持っていませんでした。でも、当時一緒にやっていた瀬戸山正二さん(元日本バレーボール協会ビーチバレーボール強化委員長)に『身長は高くないけど、プレーはうまいし、情熱もあるから指導者に向いてるんじゃない?』と言われたことはきっかけの一つだったかもしれません。そして瀬戸山さんがコーチをしていたダイキヒメッツ(※)の合宿などに呼ばれて手伝うようになりました」

※日本で初めてのプロビーチバレーボールチーム。佐伯美香、徳野涼子、楠原千秋などが所属した

――コーチとして心掛けていることは?

「練習とは技術に対しての研究だと思っているので、身につけたいと思っている本人が研究をして、それらを身につけていくというのが基本的な考えです。教えられているという感覚を選手にできるだけ持たせないで、自分たちで研究してうまくなった、できるようになったという実感を持たせることがとても大事だと考えています。自分が子どものころ、野球やサッカーをしていて、大人に教えられることが嫌だったという覚えがあります。テレビで見て、篠塚選手(和典・元プロ野球選手)の打ち方を練習したくて自分でやっているのに、『そうじゃない、こうしろ』と言われることがすごく嫌だったのです。だから、教えるのではなく、選手ができるようになる手助けをするのが、コーチの役割だという思いがあります。

日本では学生時代からやらされる練習を経験した選手が多いと感じています。そもそもビーチバレーボールは楽しむためにあるスポーツで、ビーチというみんなが楽しみにやって来る場所でプレーする競技です。しかし、オリンピックなどの国際大会での成績を求めるほど、勝つために教え込むような指導をしてしまいます。自分も過去にそういった指導方法を経験してきました。しかし、きつい練習に耐えて、オリンピックが終わったら、もう辞めたいと思ってしまう状況は違うなと感じました。もし、このやり方で世界一になれそうだったら、きっとそのままやっていたと思います。しかし『このやり方では限界があるよね』と感じたのでそれならば、他の国がやっていないことや新しい方法をすべきだと感じました」

選手が自分でできるようになった実感を大切にするという渥美コーチ

――しかしコートで指導していると、「教えない」ことは難しくありませんか?

「そうですね、ここ3、4年でやっとそういった葛藤がなくなってきたと思います。言いたくなっても言わずに我慢していた時期もありましたが、今では我慢という感覚もありません。『こうやったら勝てるかも』と自分でひらめいて、自分で身につけたものは、なかなか失われないと思います。でも人に言われて覚えたものは、すぐに忘れたりするじゃないですか。そういうことをたくさん見つけるために、やらせて、すべて教え込むのではなく、選手自身に研究してもらいたいと思っています。

僕はもともと技術を武器にしていたので、今でも技術屋だと思いますし、細かい技術を伝えていくことはできます。でも、『これさえやっておけば勝てる、というものを教えて欲しい』という人もいます。そこは楽してはダメだと思います。技術の引き出しを増やして、その引き出しの滑りを常によくする。それを楽しめるようになったほうがいいと思いますね。鈴木千代はそういったタイプで、『増やしてもらえるならもらえるほど楽しいです』という感じでした」

――コーチになって印象に残っている試合はありますか?

「あります。一つは2021年のワールドツアー4スター カンクン(メキシコ)1st大会で鈴木千代/坂口由里香組が、東京2020オリンピック出場を決めていたスペインの強豪チームLiliana/Elsa組とプール戦で戦った試合です。すごく厳しい、苦しい試合になりましたが、フルセットの末に勝ち切りました。試合後、2人とも一歩も動けないほど出し切っていて、2人のことをすごいと思いました。もう一つは、2018年のワールドツアー1スター マナヴガットオープン(トルコ)で優勝を果たした石坪聖野/柴麻美組の試合です。2人にとってワールドツアーに参戦して2大会目だったのですが、他のチームが熱心にアップするなか、軽いアップをするくらいで、彼女たちは音楽を聴きながら非常にリラックスしてから試合に臨んでいました。彼女たちはツアー参戦1年目だったので、そういった空気を大事にして、もっとアップしようなどとは言わずに、観察に徹しました。予選2試合はストレートで勝利しましたが、プール戦から決勝までの6試合中5試合はフルセット。結果全8試合のうち半分以上が接戦でしたが、彼女たちは優勝しました。

僕にとってとても極端だったと感じる2つの大会で、どちらの戦い方が正しいというのではなく、どちらもいいと思います。ただ、勝つ道筋というのはそれくらい幅があり、コーチとしては、選手をよく観察して、持っている可能性をどうすれば一番大きくできるのかを考えるよい機会になりました」

取材日には辰巳遼(DOTS)、丸山紗季と練習を行っていた

――コーチの仕事の喜びは?

「コーチの仕事をしていると、いろいろな大会に同行して、コーチ、選手、あるいはサッカーなど他競技の方たちなどさまざまなつながりができます。そうしてできたつながりで、例えば、日本の選手とブラジルやアメリカの選手が仲よくなったり、海外のコーチと選手をつなげたりして、みんなの世界を広げて、上手になっていく可能性を広げられるところに幸せや楽しさを感じます。選手は僕を離れて、紹介したコーチに教わってもいいと思いますし、コーチや選手にもさまざまなスタイルがあり、多様性があるので、チョイスする幅は広い方がいいと思います。そうしてつなげたことが選手の結果につながると、喜びはひとしおですね」

人と人をつなげることが楽しいと語った渥美コーチは、平塚での練習を取材する間にも、ビーチで犬の散歩をする人、レストランで隣り合ったご老人など、さまざまな地元の人たちに声を掛けられては和やかに会話していた。コーチ自身が人とつながっていくことを楽しむからこそ、人をつなげることができるのだろう。渥美コーチはつながったひとたちに今日も技術を伝えながら、“研究”を手助けする日々を送っている。